障がい者と国際交流事業 その意味(車いすダンスの場合)
2004年6月1日
広島車いすダンスくらぶ
事務局長 仲井サカエ
広島市の国際交流事業補助金募集に応募して、多くの団体の中から幸運にも選ばれたのは昨年秋のことである。その時以来、先ずは資金をどうするか、具体的にどこから手をつけたらいいか、誰と誰が参加するのか等々、てんやわんやの始まりである。
春浅い三月の中旬、重度障がい者の方々と共に一行十八名で国際交流事業のためにロス市へ出かけることとなった。?最も寒い時期に、その目的に向かってレッスンを重ねてきた日々が今はもうなつかしく思えてくる。みなの目が輝き、寒ささえ感じることもなかったのは、燃えていたためか、それを感じる暇もなかったからだろうか‥‥。
目標地を英語が使えるアメリカに定めて、勇躍乗り込んだ私たちを、想像以上の人々が出迎えてくださった。国際交流の始まりである。
お年寄りが大勢収容されているナ-シングホ-ムでは、一人一人の側に 寄り添い、手を繋ぎ、調べに合わせてリズムをとる。互いに相手をお思んばかり、感動のひとときを過ごした。別の会場では、大勢の人に来ていただいて、いよいよ自分たちのダンスを発表する場面となる。緊張と興奮に包まれて一生懸命に演技する。ダンスが一つ終わるごとに力強い拍手や声援が飛んでくる。間に会場のみなさんと一緒に車いすダンスを楽しむ時間をとった。
殆どの人が、車いすをどう動かしてよいのか戸惑いながらも、手振り、身ぶり、日本語、英語がチャンポンのコミュニケ-ションで何とか車いすを動かすことができるようになる。くらぶのメンバ-はみんな、立派な車いすダンスの先生である。
ダンスがスム-ズにできるようになるとフロアいっぱいにオ-バ-な喜びや笑いで花が咲く。
不自由な身ながら、遥々やってきて、持てる能力を精一杯発揮し、そこで踊れることを喜びとし楽しんで踊る。パ-トナ-と助け合って表現を作っていく。一人一人の生命が輝き、笑がこぼれる‥‥‥。
すべての演技が終わったあと、見ていただいた方々からは、「感動した」「勇気をもらった」「今まで見たこともない素晴らしいダンスだった」等々のコメントが。「世界中の人に見せる必要がある」と言ってくださった方もあった。そばで直に見たからこその率直な感想なのであろう。
人権尊重にもっとも過敏でなければならない職場でさえ、いまだ同僚への不当な差別やいじめはよく耳にするところである。私たちが忘れてはならない「命の大切さ」「平等とか人権の尊重」という言葉の意味を、車いすダンスを見、一緒に手を繋いで踊ってみることで学ぶことができる。
車いすダンスには、人種や国籍を超えて、素朴で最も根元的な学びを人々にプレゼントする働きがある。
さらにダンスなるが故の表現の自由や、優美さ、音楽の持つ癒しや鼓舞(こぶ)、これら全てのエッセンスが共鳴し合って、独特の優しさや暖かさを醸成(じょうせい)することとなる。 昨今の荒んだ世情の中にあって、平和であってこそ、障がい者が生き生きと活動が出来、又、それをサポ-トすることも可能なのだ。
言い換えれば、障がい者を国際交流事業に押し出せるということは、取りも直さずその都市が平和であることの何よりの証明にもなる。
加えて、マスコミの報道により、その効果は関係する当事者に留まらず、波紋のようにどこまでも広がって行くこととなる。
遠隔地への長旅は、そのリスクを危惧するが故に、家族の中では殆ど不可能と思われていた重度障がい者を勇気づけ、また、結果としてメンバ-全体の自信につなっがることとなった。親しい大勢のメンバ-と一緒に行動することで、サポ-トもごく自然にうまく連携できていた。実際、健常者が、不自由をもつ人をサポ-トするのは当たり前という日常の精神さえあれば強いて取り決める必要もないことだ。
旅行をした結果として、これら重度障がい者ほど、実に不思議と思えるほどの活力を得ることができ、彼らは、実際、旅の間中、すこぶる陽気で平素見たこともないほど元気であった。こういう形の旅行の効果は絶大であった。誰もが予想もしなかった大きな発見であり、成果であった。
わずか、五日間のあわただしい旅ではあったが、会員の間に結束力とモチベ-ションの意識が高まったことは明白である。
今、障がい者が国際親善交流の役目を担うことは、一石何鳥もの成果になることを実感している。
確かに、異文化に触れ、多くの人々と楽しい時間を過ごし、メンバ-にとっては最高の国際親善交流の旅であった。しかし、楽しかっただけでは済まされない。写真やビデオ、礼状のやりとりをしながら、ゆるゆるとその後の近況報告に着手したところである。
ともあれ、平和のアンバサダ-(Ambassador)「大使」としてその役割は今、始まったばかりであり、これからが、真にその役目を担う歳月としていかなければならない。